【兄弟姉妹で!】音楽活動を続けて成功した海外アーティスト達7選!

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洋楽をよく聞く方なら薄々気づいているかと思いますが、海外には兄弟姉妹で音楽活動をしているアーティストが結構多いんです。

あのキングオブポップと呼ばれるマイケル・ジャクソンだって、最初はお兄ちゃん達と一緒にジャクソン5というグループで活動していました。

というわけで、今回は「兄弟姉妹で音楽活動をしているアーティスト」をchoiceしていきたいと思います。

Carpenters(カーペンターズ)

カーペンターズは、1969年に兄のリチャード・カーペンター(1946年10月15日生まれ)と妹のカレン・カーペンター(1950年3月2日生まれ)の兄妹で結成されたデュオです。

ロック全盛期の70年代において、美しいメロディとカレンの哀愁ただよう歌声が絶妙にマッチしたポップミュージックが高い評価を受け、今もなお多くの人に愛され続けているアーティストです。

2人はアメリカのコネチカット州ニューヘイヴンで生まれ、リチャードの音楽活動のため1963年にロサンゼルス郊外へと引っ越します。

父親のハロルドは音楽好きでレコードを数多く所有しており、おとなしい子供だったリチャードは家でハロルドのレコードを聴いたり、ピアノを弾いたりして過ごしていたそうです。

一方、カレンはリチャードとは正反対で、スポーツ好きのお転婆な女の子でしたが、2人で一緒に音楽を聴いて過ごすことも多かったようです。

そして1969年、カレンとリチャードはA&Mレコードと契約し「カーペンターズ」としてデビューし、デビューアルバム「Ticket to Ride」からシングルカットされた、ビートルズのカバー曲「Ticket to Ride(涙の乗車券)」が全米54位を記録、1970年に「(They Long to Be) Close to You(遙かなる影)」が全米1位を獲得し、グラミー賞の最優秀新人部門を受賞します。

その後「We’ve Only Just Begun(愛のプレリュード)」が全米2位を記録し、リチャードはこの曲をカーペンターズの代表曲だと述べています。

1971年には、前年度に公開された映画「ふたりの誓い」の挿入歌「For All We Know(ふたりの誓い)」をカバーして全米3位となり、続いて「Rainy Days and Mondays(雨の日と月曜日は)」が2位、「Superstar(スーパースター)」が2位と立て続けにヒットを飛ばしました。

1972年は「Hurting Each Other(ハーティング・イーチ・アザー)」が2位を獲得、1973年は「Sing(シング)」が3位、「Yesterday Once More(イエスタデイ・ワンス・モア)」が2位、「Top of the World(トップ・オブ・ザ・ワールド)」が1位、1974年に「Please Mr. Postman(プリーズ・ミスター・ポストマン)」が1位、1975年に「Only Yesterday(オンリー・イエスタデイ)が4位と、70年代前半~中頃に手掛けた多くの曲がヒットチャートのトップ10入りを果たしました。

1976年にカレンが最も好きだったといわれる曲「I Need to Be in Love(青春の輝き)」がリリースされ、ビルボードのヒットチャートでは25位でしたが、アダルト・コンテンポラリー・チャートで1位を獲得しています。

その後、70年代後半にディスコミュージックがブームとなり、カーペンターズの曲がチャートインするのは難しい状況になっていきました。

それに加えて1979年にリチャードが薬物依存症のためリハビリ施設へ入所することになり、その間にカレンはソロ活動を始めますが失敗に終わり、1980年にカレンはトーマス・ジェイムズ・バリスという不動産業者と結婚します。

しかし、わずか1年足らずで結婚生活は破綻してしまいました。

そして1983年、カレンは拒食症により急激な体重の増減を繰り返していたため心臓に負担がかかり、実家で心肺停止の状態で発見されましたが、その後搬送先の病院で死亡が確認されました。

カレンが亡くなった後、リチャードは未発表曲をプロデュースしてリリースしたり、自身のソロアルバムを発表したりするなどの音楽活動を現在も続けています。

レノックス
レノックス

カレンは拒食症が原因で、32歳の若さで亡くなっちゃったんだよね。

ダメだ…。カーペンターズの曲を聴いてると、涙腺が緩んできちゃう…。

Bee Gees(ビージーズ)

ビージーズは長男のバリー・ギブ、二卵性双生児の次男ロビン、三男モーリスとで結成されたボーカルグループです。

ギブ3兄弟はドラマーの父と歌手の母を持ち、英国王室属領マン島で生まれ、オーストラリアで育ちました。3兄弟には他にも、姉のレスリーと末っ子の弟アンディがおり、アンディはソロで音楽活動をしていましたが、30歳という若さで亡くなっています。

3兄弟が音楽活動を始めたのは1955年からで、最初は教会の合唱団で歌っていましたが、1958年にオーストラリアへ移住してからラトルスネークスというグループを結成し、その後ウィー・ジョニー・ヘインズ&ザ・ブルーキャッツにグループ名を変えた後、1963年にビージーズとしてレコードデビューし、1967年に「スピックス&スペックス」がオーストラリアで1位を獲得しました。

その当時、イギリスではビートルズが大人気で、ビージーズもビートルズのように成功したいと考え、1966年よりイギリスで音楽活動を始めることになります。

コリン・ピーターセン、ヴィンス・メロニーを新たなメンバーに加え、5人編成で新たなレコード会社よりデビューしたものの、ビートルズの影響もあってバンドを始める人が増えたため、競争率が高くイギリスで成功するのは難しいと考えられていました。

しかし、「Massachusetts(マサチューセッツ)」が全米11位を記録するなど、ビージーズの人気は予想に反して徐々に高まっていきました。

その後、1968年にヴィンスが脱退、コリンが解雇された上に3兄弟の関係が上手くいかなくなったこともあり、ロビンが脱退しソロ活動を始めることになります。

最終的にバリーとモリーの2人きりで活動することになったビージーズですが、1969年に「Don’t Forget To Remember(想い出を胸に)」が全英2位を記録した後、翌年70年に兄弟げんかが原因でそれぞれソロでシングルを発表するものの結果はいま一つでした。

そして、1970年に兄弟が和解して再び3人でビージーズとして活動を始めたものの、71年に発売された「Lonely Days(ロンリー・デイ)」が全米3位、「How Can You Mend A Broken Heart(傷心の日々)」が全米1位を獲得した後、人気は下降気味でヒット曲に恵まれない期間が数年続きます。

そこで、現状を打破するために1974年に名プロデューサーのアリフ・マーディンに相談し、今までとは全く違ったジャンルの音楽を手掛けることになりますが、古株のファンから「売れるために音楽性を変えた」と批判されました。

それでもビージーズは70年代後半にブームとなっていたディスコミュージックに進出し、1975年に「Jive Talkin(ジャイブ・トーキン)」が全米1位となります。

ここからビージーズの快進撃が始まり、引き続き1976年に「You Should Be Dancing(ユー・シュッド・ビー・ダンシング)」、1977年に「How Deep Is Your Love(愛はきらめきの中に)」も全米1位と立て続けにヒット曲を出したのです。

その後、1977年にジョン・トラボルタ主演映画「サタデーナイトフィーバー」のサントラ盤から「Stayin’ Alive(ステイン・アライヴ)」、「Night Fever(ナイト・フィーヴァー)」が全米1位の大ヒットとなり、ビージーズは名実ともにディスコミュージックの立役者となったのです。

しかし、1979年に反ディスコ運動が起こり、ディスコミュージックは終焉を迎えることとなり、ビージーズはその後、慈善活動や作曲・ソロ活動へと進みます。

そして2003年にモーリス、2012年にロビンが亡くなり、弟たちに先立たれたバリーは、現在もソロで音楽活動を続けています。

レノックス
レノックス

末っ子のアンディは、バリーによく似たイケメンだったんだよね。

ビージーズに加入して、お兄ちゃん達と一緒に活動するために準備していた矢先に亡くなっちゃうなんて、本当に残念だよ。4人体制のビージーズを見たかったなー。

The Nolans(ノーランズ)

ノーランズは1970年代後半から1980年代前半にかけて人気を博した、アイルランド出身の姉妹ポップスグループです。

両親はクラブ歌手で、1963年に末っ子のコリーンを除く息子2人と娘5人、両親とで「ザ・シンギング・ノーランズ」を結成し、地元の教会学校などで歌を披露していました。

1974年にロンドンへ移住し、アン、デニース、モリーン、リンダ、バーニーの5人で「ノーラン・シスターズ」としてデビューします。

1978年にデニースがソロ活動に専念するため脱退し、1979年に「I’m in the Mood for Dancing」が大ヒットし、全英で3位、アイルランドで2位を記録します。

1980年にアンが結婚のため休業し、コリーンが加入してグループ名を「ノーランズ」に変更した後、日本でも「I’m in the Mood for Dancing」が「ダンシング・シスター」という曲名で発売され大ヒットしました。

ノーランズの曲は特に日本でヒットしており、1980年に「Gotta Pull Myself Together(恋のハッピー・デート)」がオリコン洋楽シングルチャートで1位を獲得、1981年の東京音楽祭世界大会で「Sexy Music(セクシー・ミュージック)」を歌ってグランプリを受賞しました。

1982年にアンが復帰、1983年にリンダがソロ活動のため脱退、1994年にコリーンが出産のため引退、1995年にバーニーが女優活動のため脱退とメンバーの脱退を繰り返した後、2005年に解散することとなります。

2009年にモリーン、リンダ、バーニー、コリーンで再結成したものの、2013年にバーニーが乳がんのため亡くなってしまいました。

レノックス
レノックス

「恋のハッピー・デート」を石野真子さんがカバーしていたね。

セクシー・ミュージック」はWinkがカバーしていたよ。

その反対にノーランズはJ-POPの人気曲を英語でカバーしたアルバムを出しているよ。

DeBarge(デバージ)

デバージは、フランス系の白人男性とアフリカ系の黒人女性の両親を持つ、アメリカデトロイト出身のグループです。

母とデバージ兄弟は、父親から虐待を受けていましたが、母は1974年にプエルトリコ人と再婚します。

実際のデバージ兄弟は白人と黒人とのハーフですが、母の再婚相手がプエルトリコ人のためラテン系と勘違いされることも多かったそうです。

デバージ兄弟が音楽活動を開始したのは1970年代中頃からで、1979年にバニー、ランディ、マーク、エルドラの4人で「デバージズ」を結成し、1981年にデビューアルバムを発表します。

「80年代のジャクソン5」、「ジャクソン5の再来」といった具合に、高い期待を背負ってデビューしたもののファーストアルバムは余りヒットしませんでした。

その後、七男のジェームズが加入し、グループ名を「デバージ」へと変更します。

1982年にセカンドアルバム「All This Love」を発表し、シングルカットされた「I Like It(アイ・ライク・イット)」がビルボードのアダルトコンテンポラリーチャートで1位を獲得します。

そして1985年に発表された4枚目のアルバム「Rhythm Of The Night」の中からシングルカットされた「Rhythm Of The Night(リズム・オブ・ザ・ナイト)」が全米3位、「Who’s Holding Donna Now(ドナは今)」が全米6位を記録しデバージは成功を収めたのですが、栄光は長く続きませんでした。

ジェームズが1984年にジャネット・ジャクソンと結婚したもののわずか1年で離婚し、その後は薬物中毒で苦しむことになります。

1988年にはボビーチコが麻薬の密売で逮捕され服役することになった他、長女のバニーが薬物依存症になったり、エル(エルドラ)が女性ファンから性的暴行を受けたと訴えられたり、次々と災難に見舞われます。

そしてついに1989年にデバージは、解散することとなったのでした。

レノックス
レノックス

80年代のバラードはレノックスの大好物!

この「Who’s Holding Donna Now(ドナは今)」も大好きな曲なんだよね。

ジャクソン5に匹敵するほどの才能があると期待されていたグループなのに、短命に終わってしまって非常に残念!

そのジャクソンファミリーのジャネットとデバージのメンバーが結婚していたなんて、なんだか皮肉な話だね。

The Jets(ザ・ジェッツ)

ジェッツは、トンガ出身のウルフグラム夫妻の子供たち(17人でそのうち2人は養子)で結成されたアメリカミネソタ州出身のバンドです。

バンド名のジェッツは、エルトン・ジョンの曲「ベニーとジェッツ」から拝借したものです。

メンバーはリロイ、エディ、ユージン、ハイニ、ルディ、キャシー、エリザベス、モアナのウルフグラム兄弟姉妹8人で構成されています。

1986年に「Crush on You(クラッシュ・オン・ユー)」が全米R&Bチャート、全米ダンス・チャートと共に4位を獲得し、「You Got It All(ユー・ゴット・イット・オール)」が全米ヒットチャート3位、アダルト・コンテンポラリー・チャートで1位、1987年に映画ビバリーヒルズ・コップ2のサントラで全米7位となった「Cross My Broken Heart(クロス・マイ・ブロークン・ハート)」、1988年に「Rocket 2 U(ロケット2U)」が全米6位、「Make It Real(メイク・イット・リアル)」が全米4位、アダルト・コンテンポラリー・チャートで1位を記録しています。

2009年にメンバー7人で再結成し、ハワイで開催されたミュージック・フェスティバルで他のアーティストと共に演奏し、2015年にフィリピンで公演を行いデビュー30周年をお祝いしました。

レノックス
レノックス

しかし、17人兄弟ってすごいね!!

この「You Got It All」も大好きな曲なんだよね。

ボーカルを担当しているエリザベスは、この曲を歌っていた時まだ13歳だったんだよね。

Wilson Phillips(ウィルソン・フィリップス)

ウィルソン・フィリップスは、チャイナ・フィリップスと、カーニー・ウィルソン、ウェンディ・ウィルソン姉妹で結成された、アメリカロサンゼルス出身のコーラスグループです。

チャイナの両親は、1965年に「夢のカリフォルニア」を大ヒットさせたママス&パパスのジョンとミシェルで、ウェンディ姉妹の両親はザ・ビーチ・ボーイズのブライアン・ウィルソンという、2世アーティストです。

1990年にデビューアルバム「Wilson Phillips」からシングルカットされた「Hold On(ホールド・オン)」、「Release Me(リリース・ミー)」、「You’re In love(ユーアー・イン・ラブ)」は、全米1位を記録する大ヒットとなりました。

しかし、1992年に発売されたセカンドアルバム「Shadow & Lights」は前作ほどヒットせず、その後チャイナがソロ活動を開始したため、しばらくグループでの活動は休止していましたが、2004年から活動を再開しています。

レノックス
レノックス

両親がビッグアーティストだから、親の七光りだと思われることもあっただろうけど、

彼女たちは、ちゃんと結果を出して実力を証明してきたね。

The Bangles(バングルス)

バングルスは、スザンナ・ホフス、アネット・ジリンスカス、ヴィッキー・ピーターソンとデビー・ピーターソンの姉妹で結成されたガールズバンドです。

1982年にミニアルバム「Bangles」を発表し、翌年にCBSレコードと契約するもののアネットが脱退し、マイケル・スティールが新たに加入します。

マイケルはジョーン・ジェットが在籍していた「ザ・ランナウェイズ」のメンバーでした。

1984年のデビューアルバム「All Over The Place(気分はモノクローム)」を聴いてバングルスを気に入ったプリンスが、「Manic Monday(マニック・マンデー)」を提供し、1986年に全米2位の大ヒットとなります。

その後「Walk Like an Egyptian(エジプシャン)」が全米1位を記録し、バングルスはトップアーティストへの仲間入りを果たしました。

そして1987年にサイモン&ガーファンクルのカバー曲「A Hazy Shade of Winter(冬の散歩道)」が全米2位、1988年の「In Your Room(イン・ユア・ルーム)」が全米5位、1989年の「Eternal flame(胸いっぱいの愛)」が全米1位を記録するなどヒット曲を連発した後、「Be with You(いつでもBe with You)」が全米30位と最後にチャートインした曲となり、その数か月後に解散します。

その後スザンナがソロに転身しますが、1999年に映画「オースティン・パワーズ:デラックス」のサントラ盤のレコーディングをきっかけに再結成します。

しかし2005年にマイケルが脱退してアビー・トラヴィスが後任のベーシストになりましたが、正式なメンバーにはなりませんでした。

2018年には初期のメンバーだったアネット・ジリンスカスが、35年ぶりに復帰を果たしています。

レノックス
レノックス

この「Be With You」でボーカルを担当しているのは、ピーターソン姉妹の妹のデビーだよ。

バングルスはスザンナがボーカルの曲が多いけど、デビーの歌もいいよね。


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