日本の歌手が歌っている曲が、実は洋楽をカバーした曲だったと後から知ったことはありませんか?
特に80年代は洋楽をカバーした曲がたくさんあり、その中からヒット曲もたくさん生まれています。
それでは、そんな「洋楽カバー曲の原曲」をchoiceしていきましょう!
日本語カバー曲の動画も追加でupしましたので、原曲と聴き比べてみて下さいね!
1979年 YOUNG MAN (Y.M.C.A.) 西城秀樹
西城秀樹さんの大ヒット曲「YOUNG MAN (Y.M.C.A.)」の原曲は、Village People(ヴィレッジ・ピープル)の「Y.M.C.A.」です。
「Y」「M」「C」「A」の振り付けを真似しながら、一緒に歌ったという方も多いのではないでしょうか?
70年代後半のアメリカはディスコ音楽が大流行中で、このヴィレッジ・ピープルのY.M.C.A.もビルボードの年間ランキングで2位を獲得するほどの大ヒット曲となりました。
しかし、この曲のタイトルになっている「Y.M.C.A.」とは(Young Men’s Christian Association)の略で、キリスト教青年会が若者のために用意した宿泊施設のことを指します。ここには相部屋もあったために「ゲイの巣窟」とされ、「Y.M.C.A.」はゲイを表すスラングとしても用いられています。
ヴィレッジ・ピープルは、もともとプロデューサーが「ゲイの象徴的グループ」を作ろうとして集められたグループで、「マッチョなゲイのシンガー募集」という広告のもとにオーディションを行った結果、メンバーが決定しました。
西城秀樹さんが1978年に渡米した際にこの曲を知って、カバー曲を歌いたいと希望しましたが、歌詞の内容もゲイをイメージさせるものなので、スタッフは始め猛反対していました。
そこでマネージャーの天下井隆二さんが原曲の歌詞を「Young Man Can do Anything(若いうちは やりたいこと 何んでもできるのさ)」という具合に、若者を応援するような内容の歌詞に作り変えたそうです。
まさか、この曲でゲイの話をすることになるとは思わなかったよ。
しかし、「マッチョなゲイのシンガー募集中」って、すごい広告だね。
↓こちらがカバー曲になります。
1980年 哀愁でいと 田原俊彦
「トシちゃん」こと田原俊彦さんのデビュー曲「哀愁でいと」も、実は洋楽のカバー曲だったんですね。
原曲はLeif Garrett(レイフ・ギャレット)の「New York City Night(ニューヨーク・シティ・ナイト)」です。
レイフ・ギャレットは70年代後半から80年代前半にかけて人気があったアイドルで、5歳の時から子役として活動していました。
1975年に出演したドラマ「Three for the Road」がきっかけでブレイクし、その人気に目を付けた音楽業界がレイフ・ギャレットと契約し、レコードデビューを果たします。
3枚目のシングル「Surfin’ U.S.A」がBillboard Hot 100の20位にランクインし、その後1978年に発売された「I Was Made for Dancin’」(ダンスに夢中)は、日本のCMに起用されたことで大ヒットしました。
そして1979年に発売されたアルバムの中からシングルカットされたのがこの曲で、田原俊彦さんがカバーして大ヒットしたことによりオリコンで最高76位を記録しています。
その後、麻薬と飲酒が原因の事故を起こして人気は下落し、俳優業に戻るも役に恵まれず、薬物中毒に苦しむなど、苦難の連続だったんだよね。
でも、90年代後半ごろから徐々に音楽活動を再開しているそうだよ。
↓こちらがカバー曲になります。
1984年 ヒーロー HOLDING OUT FOR A HERO 麻倉未稀
1984年にTBSで放送されたドラマ「スクール☆ウォーズ」の主題歌でおなじみの「ヒーロー HOLDING OUT FOR A HERO」ですが、葛城ユキさんも同じ曲をカバーされています(歌詞は麻倉未稀さんの曲とは全く違います)。
原曲はBonnie Tyler(ボニー・タイラー)の「Holding Out For A Hero(ヒーロー)」ですが、パワフルでハスキーな歌声が葛城ユキさんにちょっと似てるかな?
葛城ユキさんというと「ボヘミアン」のイメージの方が強いですけどね。
「Holding Out For A Hero(ヒーロー)」は、1984年に公開された映画「フットルース」のサウンドトラックで、欧米諸国ではトップ40に入るヒット曲となりました。85年に再リリースされてイギリスでは2位、アイルランドではシングルチャートのトップを記録しています。
ボニー・タイラーはウェールズ出身で、オペラ好きの母を持ち、ジャニス・ジョプリンやティナ・ターナーの影響を受けて音楽活動を開始しました。
この「Holding Out For A Hero(ヒーロー)」の他に、「Lost in France(パリに消えた恋)」「It’s a Heartache(愛は哀しくて)」「Total Eclipse of the Heart(愛のかげり)」などのヒット曲があります。
声帯にできたポリープを切除する手術を受けてから完治する前に声を出してしまったため、声がかすれてしまったそうだよ。
まあ、結果的に個性的で魅力的な歌声になったから、良かったのかなあ?
↓こちらがカバー曲になります。
1987年 SHOW ME 森川由加里
TBSドラマ「男女7人秋物語」の主題歌で大ヒットしたこの曲の原曲は、The Cover Girls(カバー・ガールズ)のデビューシングル「Show Me(ショウ・ミー)」です。
カバーガールズはニューヨークを拠点に、リードボーカルのエンジェル・メルカド、キャロライン・ジャクソン、サンシャイン・ライトで結成されたフリースタイル(ヒスパニック系、イタリア系アメリカ人によるエレクトロニック・ダンス・ミュージックの一種)ダンスポップグループです。
この「Show Me」は、ビルボードのダンスクラブソングチャートで最高4位、ビルボード・ホット100で44位を記録し、その後18週間ホット100以内にランクインしました。
そしてデビューアルバム「Show Me」に収録された8曲のうち、5曲はビルボードのシングルチャートにランクインしており、中でも人気曲の「Because of You」と「Promise Me」はトップ40にランクインしています。
セカンドシングル「Spring Love」をリリースした後、サンシャイン・ライトが87年後半にグループを脱退し、後任にマーゴ・アーバンを迎えて同アルバムから3曲シングルをリリースしました。
1989年にセカンドアルバム「We Can’t Go Wrong」がリリースされ、その後リードボーカルのエンジェル・メルカドがソロ活動のため脱退し、エヴリン・エスカレラをリードボーカルに迎えました。
その後も何度かメンバーチェンジを繰り返し、現在のメンバーはエヴリン・エスカレラ、サブリナ・ニエベス、ロレーヌ・ムニョスとなり、今もカバーガールズとして活動を続けています。
リードボーカルの歌声がキュートだね!
名前がエンジェルだから、まさに天使の歌声だね!!
↓こちらがカバー曲になります。
1987年 Give Me Up BaBe
1987年にフジテレビで放送されたドラマ「あまえないでョ!」の主題歌でヒットしたこの曲の原曲は、Michael Fortunati(マイケル・フォーチュナティ)のデビューシングル「Give Me Up(ギヴ・ミー・アップ)」です。
マイケル・フォーチュナティはイタリア出身で、この「Give Me Up」はベルギー、フランスのヒットチャートで1位を獲得し、セカンドシングルの「Into The Night」も引き続き大ヒットし、「ユーロビートの帝王」と呼ばれるようになります。
2018年には、この「Give Me Up」のセルフカバーをはじめ、ディスコミュージック・ユーロビートの名曲をカバーしたアルバム「ザ・ベスト・オブ・ディスコ・カバーズ」をリリースし、その宣伝のために来日もしています。
「Give Me Up」はBaBeの他にも、長山洋子、成田勝、安良城紅、Mi、玉置成実もカバーしているよ!
↓こちらがカバー曲になります。
1988年 愛が止まらない 〜Turn it into love〜 Wink
1988年にフジテレビで放送されたドラマ「追いかけたいの!」の主題歌に使用され、大ヒットしたこの曲の原曲を歌っているのは、オーストラリア出身のシンガーソングライター、Kylie Minogue(カイリー・ミノーグ)です。
「Turn It Into Love(ターン・イット・イントゥ・ラヴ)」は、1988年に日本のみでシングルカットされ、オリコンシングルチャートで最高34位にランクインしています。
カイリー・ミノーグは1979年に子役として女優デビューし、87年に歌手デビューを果たしました。
「I Should Be So Lucky(ラッキー・ラブ)」や「The Loco-Motion(ロコモーション)」など、次々と大ヒットを飛ばしますが、90年代以降にアイドルから実力派へと路線の変更を図ったところ人気が低迷してしまいます。
しかし、1999年にレコード会社をパーロフォンに移籍した後、2000年に移籍後初のアルバム「Light Years(ライト・イヤーズ)」からシングルカットされた「Spinning Around(スピニング・アラウンド)」が全英チャートで1位を獲得し、その後も「On a Night Like This(オン・ア・ナイト・ライク・ディス)」も全英2位にランクインするなど、カイリー・ミノーグの人気が復活することとなります。
そして、2001年に発売されたアルバム「Fever(フィーヴァー)」からシングルカットされた「Can’t Get You Out of My Head(熱く胸を焦がして)」は、世界中で1位を獲得する大ヒットとなりました。
その後もコンスタントにヒット曲を輩出し、昨年(2023年)は「Padam Padam(パダム・パダム)」がグラミー賞の「最優秀ポップ・ダンス・レコーディング部門」を受賞するなど、まだまだ目覚ましい活躍を続けています。
カイリー・ミノーグが、米タイム誌の「2024年世界で最も影響力のある100人」に選出されたよ!
↓こちらがカバー曲になります。
1999年 GOLDFINGER’99 郷ひろみ
郷ひろみさんが歌って大ヒットしたこの曲の原曲は、Ricky Martin(リッキー・マーティン)の「Livin’ la Vida Loca(リヴィン・ラ・ヴィダ・ロカ)」で、初の英語版アルバム「リッキー・マーティン」から最初にシングルカットされた曲になります。
曲名の「Livin’ la Vida Loca」はスペイン語で、翻訳すると「クレイジーな人生を送ること」だそうです。
この曲はアメリカ、イギリス、カナダ、ニュージーランド、アイルランドなどで1位を獲得しています。
リッキー・マーティンはプエルトリコ出身で、アイドルグループ「メヌード」のメンバーでした。
メヌードはプエルトリコ出身の少年たちで結成されたグループで、16歳になったら脱退しなければならないという決まりがあり、リッキー・マーティンは1989年に脱退してから俳優として活躍した後、1991年にソロシンガーとしてデビューしています。
1997年に発売された「マリア」がフランスでヒットしたのをきっかけに、1998年の「FIFAワールドカップ」のテーマソング「ザ・カップ・オブ・ライフ」を歌ったことで国際的な人気を集めることになります。
そして1999年に「Livin’ la Vida Loca」で英語アルバムデビューを果たした後、アメリカに活動拠点を移しました。
この曲はスペイン語版もあるよ!
それとレイザーラモンHGが登場するときにも使われていたね。フォーッ!
↓こちらがカバー曲になります。
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